ナイジェル・マンセルと言うレーサーがいた。
選手生活の始めの頃、アライメントがデタラメな車に乗って勝っていたという。
また、チャンピオンとなった92年のリアクティブサス搭載のFW14Bはロードインフォメーションの伝わらない車だったと聞く。
優れた開発ドライバーとして知られたチームメイトのR・パトレーゼは前年まで好成績だったのにこのリアクティブサス搭載車を苦手としこの92年は成績があまり振るわなかった。
車でも自転車でもそうだが、違いを感じ取れるという資質と速く走れる資質、というのは別物である。
カーボンフレームとアルミフレームの違いが分からずとも速く走れる自転車乗りはいるし、カーボンフレームのわずかな違いに気づく人もいる。
違いが分からないという人達は車でも自転車でもそうだが、その違いを自ら気が付かないうちに吸収し対応できている人達であろうと思える。
逆にその違いが分かる人は基準となる自分のスタイル・好みができあがっているので違いが分かるのではないだろうか。
最近まで、評論できる資質というのは様々な失敗・経験を積み上げて客観的に観ることの視点を持ちうる、つまり誰もが経験さえつめば、評論できうるものと思っていた。
ところが前述の通り、自らのもつ柔軟性が故にその違いが分からない、という人達がいるということに最近気づいた。
評論できる資質というのは誰もが持ちうる資質ではないということのようだ。
もっとも、パナチタンの乗り心地が硬いとか、ミシュランプロレースが200kmでグリップが無くなるなどという世間一般から大きく外れた自分の観点から独自の評論(電波?)を発信している人もいるが(笑)