ロータス88 (1981)

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 グランドエフェクト時代のF-1の方向性を変える可能性のあった一台。パワーゲームとレギュレーションの狭間に消え去り、それと同時にF-1はフラットボトムとターボエンジンへの時代へ向かった。

 可動式スカートをレギュレーションにより禁止されたウイングカーはアクセルオン・ブレーキによる車体姿勢変化に伴い路面とスカートの隙間より流入する空気量が変化することによるダウンフォースが安定しないという問題~ポーポシンの発生~に直面し各コンストラクターは対策に苦慮していた。

 当面の解決方法としてはサスペンションをガチガチに固めて姿勢変化を極力なくすという消極的対策しかなかったがそれは同時に乗り心地の悪化とドライバーへの負担、固められたサスペンションによりサスペンション・シャーシへの過大入力による折損トラブル続発といった問題を引き起こしていた。ドライバー達の手足はコクピット内部で揺すられ続けてアザだらけになり、事実ネルソン・ピケットはブラジルGPの表彰台で失神してしまうほど消耗したりする事態が発生していた。

 ウイングカー時代に先鞭をつけロータス80で前後ウイングを取り去りもう一段階先へと進むはずだったコーリン・チャップマンロータス80のテストの際、過大なグランドエフェクトとアクセル・オン・オフ時のポーポシンに悩まされていたという。

 そんなポーポシンに対するグランドエフェクト・カーの生みの親の回答がこのロータス88~ツイン・シャーシ~である。

 動画からわかるとおり本来のシャーシとアウタースキンとも言える外殻のボディパネル部分をスプリングで支えて分離することでグランドエフェクトがもたらすポーポシンに対する対策と同時にドライバーやマシンの負担を軽減するという一石二丁、三丁のこのアイデアは再び常勝ロータス時代がくるのを恐れたコンストラクター達に「空力装置は可動するべからず」というレギュレーションと当時のFOCA~フォードDFV陣営~とFISA~自動車メーカー側~のパワーゲームの中一度も本戦で走ることなく姿を消した。

 1981年ロングビーチGPでの予選での出走だけが唯一、公式に姿を現したシーンであった。

このロータス88の「インナーシャーシ」はその後ロータス87となり、翌シーズンのロータス92にも使われてオーストリアGPで優勝することとなる。それは名機フォードDFVが登場したロータスとの組み合わせでの最後の勝利であった。

Lotus88

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