1977年、2回目の開催となった富士スピードウェイでの日本GP。
不調をかこってたJ・ハントが最初からトップを譲らずゴール。
本命視されていたアンドレッティは序盤にリタイヤ、追走していたJ・ワトソンもJ・シェクターもリタイヤとしまりのないレースだった。
映像には無いが、ラウダの代役として出場したG・ビルニューブがピーターソンと絡んでコース外へ転がっていき、観客・コースマーシャル巻き込んで死傷者を出している。
最後の表彰式にはJ・ハントは出ずに「バッド・レース!」と一言残して去っている。
この動画で注目なのは、コジマ・エンジニアリングのKE009が最初の方に出ているところだ。前年のKE007の改良型で、前年長谷見選手が予選で速いところを見せていたので、活躍が大いに期待されていたが、この頃のBSのタイヤはダメダメ君でリザルト的には見るべきものがなかった状態だった。
ただ、マシンのデキは動画のとおり素晴らしく、まともなタイヤ、エンジンが供給されていればひょっとしてという可能性は十分にあった。
ちなみにこのKE007、009はこの頃少年サンデーでスタートした「赤いペガサス」007、009のモデルになっている。