1983年、後方スタートのワトソン-ラウダのマクラーレンコンビが1-2フィニッシュしたレース。
まだアメリカでF-1GPが開催されていた頃で西アメリカGPなどと呼ばれていた。東側は言わずと知れた名テクニカルサーキット、ワトキンスグレンだった。
スタート直後から前年のチャンピオン、ケケ・ロズベルグの大はしゃぎが楽しめる。スピンして一回転後何事もなかったかのように走る人ってこの人以外にはマンセルぐらいしか知らないなあ。どちらも同じようなタイガー系レーサーだけど。
フラットボトム化された初年のこの年、サイドポットでのベンチュリ効果によるダウンフォース失ったデザイナーは後輪のグリップを得るためできるだけ重量物を後輪に寄せる、という手法をとった。
中でも有名なのがこの1983年のチャンピオン・カーとなったブラバムBT52である。イカを連想させるフォルムだがまとまりが良くとてもカッコイイ。紹介している画像でも途中でリタイヤするまで上位を走っている様子が分かる。
レースの方は熱いバトルを展開していたロズベルグとタンベイがアクシデントでリタイヤし、N・ピケットをはじめ上位陣が次々トラブルでリタイヤしていく中、予選22位-23位スタートのワトソン-ラウダのマクラーレンコンビがじりじりと追い上げJ.ラフィーのウイリアムズをとらえて1-2フィニッシュする。
ラフィーの操るコンパクトなFW08より挙動が安定しているように見える少し大柄なMP4/1Cは他車が取った後輪へのマスの集中化を行わず、やがてフラットボトム化以降のエアロダイナミックスを支配する独特の絞り込みを見せる絞込みコークボトル・ラインを採用していた。
本動画では現代のF-1と違い、ショートホイールベースなのでコーナーからコーナーへ飛ぶようなコーナーワークが堪能できる。
また、柔らかめのバネ・レートなので公道GPならではの悪い路面でもきちんとサスペンションが機能している。
この1883年から1984年ぐらいまではまだディフューザーによるダウンフォースの復活とロードクリアランスのコントロールが行われておらず、ショートホイールベースとハイパワーによる機敏なマシン挙動と相まってバトルシーンにおいても迫力があることが多い。
この時代以降、ホンダがF-1シーンを牛耳る頃にはロングホイールベース化とディフューザーによるダウンフォースの復活が顕著となり、段々とレース中のバトルがつまらなくなっていくのであった。
1983 ロングビーチGP ダイジェスト