ロニー・ピーターソンはスライド走行でその名を知られたドライバーだった。77年の日本GP前の特集雑誌でもそのような紹介をされており、「無冠の帝王」とまで言われていた。
そんなこんなでその当時の方法で可能なかぎり予備知識をいっぱいにしてTV観戦に望んだ日本GPだったが その当時無名だったG・ビルニューブの事故に巻き込まれて R・ピーターソンはあえなくリタイヤ、レースはJPSカラーのロータスが勝つことなくJ・ハントのマクラーレンが独走で勝った。
その翌年、R・ピーターソンがJPSカラーのロータスに帰ってくると分かった時はひそかに小躍りしたものだ。
この年から現在では考えられないほど情報不足の中、本格的にF-1へのめりこむこととなる。
AUTOSPORTSを毎号欠かさず購入し、少年サンデーに当時連載されていた「赤いペガサス」もほぼ毎号読んでいた。この漫画全編に流れるセリフ回しなどは今見ても欧州ドライバー気質をよく捕らえており、いかにも日本人的な感性で表現された他の漫画とは一線を画していた。
78年登場したノンウイングカーの中では傑作車といっていいフェラーリ312T3がデビューした
第三戦南アフリカGPでR・ピーターソンが勝ったのはそんな時だった。
この南アフリカGPで好デビューした312T3は次戦のロングビーチGPでも活躍しロイテマンが勝利をおさめた。
次々戦のゾンダー・ベルギーGPにてこの年の年頭よりたびたびミステリアスな紹介のされ方をしてきたロータス79が登場することになる。
(続く)