F-1の思ひ出 ~その4 ピーターソンの死

 78年、この年のAUTOSPORTS誌ではピーターソンは事あるごとに絶賛されていた。

アンドレッティが絶対的No.1でピーターソンはNo.2だったこともあり、予選でドッグクラッチ

ミッションのテストをやらされたり、硬い本番用タイヤだけでタイムアタックをするという、かなり冷遇された扱いだった。

 そんな中でオーストリアGPで二勝目を上げ、次のイタリアGPの速報を心待ちにしていた私はそう、忘れもしない1978年AUTOSPORTSの9-15月号を発売日に書店へ立ち読みにいったのだった。

 いつもの速報扱いの記事に目を通すとそこには信じられない事が書いてあった。

 「ピーターソン事故死」「アンドレッティ6位でチャンピオン決定」「優勝はニキ・ラウダ」などなど。

 目に入ってきた活字を理解することができずしばし雑誌を手にしたまま呆然と30分ほど書店に立ち尽くししていたことを覚えている。

 その時、脳裏にめぐっていたのは

「ピーターソンが事故死?あり得ない!」

「どうして事故車両がType79ではなくType78なんだ?」

「どうしてアンドレッティが6位なんだ?ラウダのブラバムに負けるわけないじゃないか?!」

といった疑問が頭の中に渦巻いていた。

自分の唇がジーンとしびれていたことを思い出す。

あの時の衝撃は今も忘れることが無い。のちに祖父が死んだ時もあの時ほどの衝撃を受けることはなかった。

 なぜならそれはある程度「予定された死」であってピーターソンの死は後のセナの事故同様まったく予期しえぬ事故死であったためであった。

 レーサーで予期された事故死など無いだろう、と思われる方もいるかも知れないがリアルでAUTOSPORTSの記事、あるいはTBSのF-1放送をごらんになっていた方はご存知の方もいるかも知れない。

次回触れるジル・ビルニューブはまさにそのタイプでその鬼気せまる走りには「死神がいつか迎えに来ること」を予期させるものがあった。