1984 - Monaco GP

1984年のモナコGPはこの1984年のシーズンを語る上で欠かせないレースである。

雨天のため、レースが中断となり優勝したプロストの獲得ポイントは半分の4.5ポイントとなり、この時の0.5ポイント差が効いて最終的にプロストがチャンピオンとなったこと、また後にロータスへ移籍し一躍活躍することとなるアイルトン・セナが雨中で抜群の速さを見せ2位に入ったこと等々。

このレースではあまり知られてないことないのだが、R・アルヌーをかわして3位に入ったS・ベロフが実はセナを上回るペースで追い上げていて、もし雨天赤旗にならなかったら優勝したのはS・ベロフではないか、などと後年言われていた。

このS・ベロフがこのレースで乗っていたのがティレル012。紹介している動画でも分かるとおり、すべての重量物を後輪近くに集中しグリップを稼ぐような設計思想となっており、やがて台頭するバーナード考案のコークボトル・ラインにとって変わられる以前、フラットボトム化直後に多く見られた方式だった。

このS・ベロフは当時、ドイツ人ドライバーで最もF-1チャンピオンに近い人物だと言われていたが翌年の世界スポーツカー選手権のレースにてクラッシュ、他界してしまう。

さらには水タンク事件でティレルはこの1984年の獲得ポイントを全て剥奪されることとなり、モナコGPでのS・ベロフの3位も失格扱いとされてしまうこととなり、このモナコGPでのS・ベロフの活躍は当時を知る人の記憶の中だけにとどまるようになってしまったのであった。

紹介している動画はそのS・ベロフのR・アルヌーのパッシングシーンである。

1984モナコGP

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